目の前を覆う青と横切る1本の白線と

黒と青が混ざった揺れ動く人影と

186回、メトロノームの音と残響と。

もし過去に戻れるならば、

「アタシの感情が完璧ではないあの頃に」

「私の感情が完璧ではなかったあの頃に」

私達はどんな後悔を語るだろうか。




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「今日もネメシスの探索、か」
いつもの事だな、と呟いて溜息をつく。隣にいるアイツも同じ事を考えていたようで、目が合うと少しだけふっと笑った。
「……気は抜かない方がいい」
さっきのは嘲笑だったのだろうか。ムッときたアタシはアイツに聴こえる程の声量で、
「誰かさんはアタシに付いてこれるのかよ」
と、おどけながら答えてやった。アタシは強いからな。少なくとも、今回も失敗するつもりは無い。まぁちゃんと最悪の事態は考えているけれど。そんな事を思っていると、いつの間にかアイツはアタシの横で機体の最終メンテナンスを始めていた。
「当たり前だろう」
「本当か?ウソだったらぶっ壊してやる」
「嘘ならもう既にお前に壊されてるが」
同じ様に、アタシも自分の機体の最終メンテナンスを始める。アタシ達はプログラムであり、戦闘機であり、AIでもある。人間の感情をインプットされた、成長する機械。
「…それもそうだな」
「馬鹿なのか?」
「叩き割るぞ」
これから行く先は、仮想空間世界メタヴァースの最深部、ネメシス。 ああ、メタヴァースというのはアタシ達が暮らしている世界の事で、現実世界とはまた別の空間になっている。 そのメタヴァースという世界の果てにある、未開の地の調査へ向かうのだ。 アタシ達は、その為に生まれてきた。
「ネメシスのバグ、最近相当強いらしいからな」
「げ、マジか。足引っ張るなよ」
「私を誰だと思っているんだ」
アイツは、アタシの目を見て答えた。
「グラーヴェ・ノーヴァ、
お前に付いていけるのは私ぐらいだ」

アタシは、コイツのこういう所が嫌いで、でも、嫌いになりきれないんだ。


そういえば、思い出したのだが一つの小説が忘れられないでいる。アタシが生まれてすぐにファクトリーの連中から渡されたそれは、1ページ目からよく分からなかった。きっとそれは「文字」ってやつを初めて見たからかもしれない。一応、アタシは最初から人間と話せるようにはセッティングされていた。けれど、文章を読み、理解するという行動そのものがどうしても再現できなかったらしい。
「人間でも人語が通じないヤツがいるからな」
なーんて冗談をファクトリーの連中から聞いたことがある。本当か?
「もじ、文字って、この整列したいろんな形の黒いものの事か」
「ああ」
それからアタシは自分の任務の傍ら、その一つの小説を読み、理解するまでずっと文字というものを学び続けた。
「これは、」
「それは、」

「これは、あい、と読むんだ」
「あい」
「そう」

「あいって、なんなんだ」
アタシはそれが一番分からなかった。しかし、不思議と目が離せなかったのだ。一方で、その質問をされるとは思わなかった、という様な表情で、いわゆる「センセイ」は口を開けた。
「それは、人間にも分からないんだ」
「人間にも分からないなら、アタシには理解ができないな」
「そうかもしれないな」
じゃあ、その「あい」というものを理解出来た暁には、アタシはどれ程の力を手に入れているのだろうか。すこしだけ口角をあげていると、センセイはまた口を開く。
「けれど、好き、って感情の延長線上だと言うことは分かっている」
「好き、すき……それはアタシも知っているが」
「すごいな やはり小説を読んで感情を学ぶのは正解か」
「……?分からないな」
「今は分からなくてもいい。けど、」
すき、の延長線上。その境目は一体どうなっているのだろうか。幸せ、なのだろうか。それとも苦しいのだろうか。兎も角、アタシはその小説というものを読み終えた後にひどく疲れてしまった。

『嫌い、を好きになってしまったら
きっとそれが愛なんだと思う』



「どいつもこいつも」
ネメシスの入り口付近、アタシは油断していた。周りはメネシスから異常に吐き出されたバグやウイルスで囲まれている。いったい何時から?
「……っ、なにが起きた」
「知らん。さっさと倒して先に行くぞ」
アイツは巨大なブレードを展開。ひとふりで周りのウイルスを粉砕する。強い。それはそうだ、こんな世界の最果ての探索を任されるのだから、強くて当然だ。
「クソ」
アタシも弾切れでは無いことを確認して、ひときわ大きいウイルスに鉛弾を撃ち込む。たちまち0と1に変換され粒子になるそれは、まるで宇宙の屑のようだった。けれどダメだ、暗くて似ているとしても戦場である以上、その粒子の煌めきに魅入っている暇はない。
「ヘマしたのか」
「そんなわけあるかよ」
「いやさっき、らしくない顔をしていた」
そう言われた途端、正確に撃ち出したと思っていた弾が大きく外れた。
「……お前、なに人の顔伺ってるんだ!?」
「……?何を言ってる?」
「うるさいな!集中しろ!」
「こっちのセリフなんだが」
ああムカつく。どうしてこんなヤツに振り回されなきゃいけないんだ。今度は外さない。最後の敵にアタシは照準を合わせた。瞬間、敵ははじけ飛ぶ。



アイツ、の事を少し話そうと思う。
仮想空間世界メタヴァースに現れた謎の暗黒空間、「ネメシス」を探査するために導入された高機能BOTプログラム。ES1──通称ブリランテ。アタシの姉にあたる。

ES1と初めて会ったのは、3000回目のシュミレーションの時だった。
「……この子は」
「GN73。新たなバージョンのアンチウイルスBOTプログラム、GNシリーズの試作機だ」
ファクトリーの連中がアタシを説明する。ES1はまじまじとアタシを覗き込み、「不思議だ」と呟いた。不思議がられたが、それはお互い様だ。アタシもES1に質問を投げる。
「おまえは一体?」
「私はブリランテ。お前と似たような存在だ」
「強いのか」
「それなりには」
「……ES1、ブリランテ…」
ES1の名を繰り返し、すぐに覚える。片目が隠れる程の長い前髪は漆黒。その手は包み込む為ではなく薙ぎ払う為だということがすぐ分かるほど大きかった。
アタシはその時、自分がどのくらい強いのかなんて分かってない。だから、それなりに強いと答えられるES1が羨ましかった。
「これから、数回行動を共にするらしい」
「成程」
アタシは特に何も感じていなかった。ES1に対して嫌悪する訳でも無い。ただ、似たような存在、という部分は少しだけひっかかったが。
けど、何だろう。この違和感は。

「なぁES1、おまえはションセツ?ってやつ知ってるか?」
「……し、ションセツ?なんだそれは 新しい武器か」
「違う!ええと、白い紙に黒いいろんな形をした物体が、ずらずらと並んでいて、それで」
「小説か」
「それだ」
ションセツだか小説だかもう何かどっちでもいいんだけれど(いや良くはないな)、小説とやらを読んだアタシはES1に問う。
「見たことはある、が読んだことは無い。けれど、文字は既に読めるからこれからでも読むことは可能だと思う」
「そうなのか」
「……おまえは読んだのか」
「読んだ。それでずっと分からない文字があった」
「分からない文字?読めないって事か?」
「違う。読めるんだ。けどその意味が分からなくて」
アタシはその小説をずっと持ち運んでいた。それだけ、その文字になにか意味があると信じていたから。ES1は小説を手に取ると、分からないその「あい」という文字を見て眉間に皺を寄せた。
「……私にも分からない」
「やっぱりか。人間もはっきり分からないんだってさ」
「じゃあ分かるはずがない」
「アタシと同じ事を言うんだな。……でも、そうだ、ひとつ教えて貰ったことがある」

「嫌いを好きになってしまったら、きっとそれはあい、だって」
そう言ってES1の手から小説を取り、ぱたり閉じる。
──アタシは、次に発せられた言葉に、ゾッとした。



「────なぁ、嫌いって、好きってなんだ」